志村けん

志村けん生い立ちや芸能界に入るきっかけと人気の秘密・生き方・名言

志村けん生い立ちや芸能界に入るきっかけと人気の秘密・生き方・名言

志村けんさんが29日、コロナで亡くなったと訃報がありました。ここまで長く人気があり、誰からも好かれるコメディアンも珍しく、国民の誰しもがショックを隠せない様子です。

これほどまでに愛された志村けんさん。

一体、どんな風に育って、芸能界を生き抜いてきたのか?

今回は、志村けんの生い立ちや芸能界に入るきっかけ、また人気の秘密やその生き方について調べてみました。

志村けんさん新型コロナで死去

新型コロナウイルスの検査で陽性と診断され、都内の病院に入院して治療を受けていた志村けんさんが29日に死去したことが30日、分かった。70歳だった。

 志村さんは17日に倦怠感を訴えて自宅で静養していたが、19日に発熱と呼吸困難の症状が出始めたため、20日に訪問診察を受けたところ重度の肺炎と診断され、都内の病院に緊急入院。入院の際に新型コロナウイルスの検査を受け、23日に陽性と判明したため治療を受けていたが、恐れていた事態が現実のものとなった。

今年1月には胃のポリープが見つかって緊急入院。内視鏡手術で切除したものの、免疫力の低下は避けられない。加えて「もともと大酒飲みで、たばこもかなり吸う人」(テレビ関係者)。一部では入院直後に肺疾患など持病の症状が出て重症化した、しないとの情報が錯綜した。

 院内では人工心肺装置「体外式膜型人工肺(ECMO=エクモ)」を使用した治療を開始。これは心臓と肺の役割を同時に果たす装置で、志村さんの肺を休ませて回復を待つ、という新型コロナウイルス患者を救命する“切り札”でもあった。

引用:https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1795656/

切り札の治療でさえ、効かなかったのですね。本当に悲しいです。

志村けんの生い立ちは?

1950年、東京都東村山市に小学校教諭だった父・憲司さんの三男として生まれました。

お父さんはかなり厳格な方で、教頭先生にまでなられたそうです。そんな厳格なお父さんのもとで、コメディアンが育つとは、何がどうなるかなんて、本当にわからないものですね・・・。

ちなみに出身の東村山は、志村さんがよく唄をうたっていましたね。

ドリフターズなだけあって、歌上手いですね~

志村さんには、お兄さんが2人。

長男が知之さん、次男が美佐男さん。二人のお兄さんは、厳格な教師の父親のもとに育っただけあって、公務員になられたそうです。

ところが、なぜか志村さんだけがコメディアンの世界へ。

というのも、お父さんが厳しい人だったので家庭の中はいつも真面目で重たい空気が流れていたそう。そんな中でテレビのお笑い番組を見る時だけは、家族で笑った。

という子供時代があったために、中学の時にお笑いの世界に入ろうと決めたようです。

重たく厳しい空気の中で、お笑いがみんなを笑顔にする。志村さんにとって、それはかけがえのない何ものにも代えがたい時間だったに違いありません。

だいたい、3兄弟の末っ子って全然違うことしますよね。親もびっくりの進路を進んだりするのも末っ子が多いような気がします。

志村けんが芸能界に入るきっかけは?

志村けんさんは中学の時にはすでに、お笑いの世界に入りたいと考えていたので、

1968年2月にいかりや長介さんの家に押しかけて弟子入りさせてもらいます。

志村けんさんもそうやって下積み時代があったんですね~。

それから1974年荒井注さんが脱退してから4月に正式にドリフターズのメンバーとなりました。

1968年から1974年。およそ5~6年間、付き人をしたり、挫折をしながら、やっと華やかな表舞台に立てるようになったということですね。

何かを始めて5~6年は芽がでなくても頑張らないといけないと考えさせられますね。

しかし、正式にデビューしたのはいいものの、2年間はギャグも受けずに目立たない存在だったようです。

まさか志村さんならはじめから人気があったのでは?と思ってしまいますよね。

ブレイクのきっかけは東村山音頭。この歌をきっかけに知名度も人気も上がっていくことになっていきました。

結局は自分の慣れ親しんだもの。自分は当たり前だけど、人には珍しいもの。そういうものがブレイクのきっかけになるのかもしれませんね。

人気の秘密は?

「志村さんの誕生日会はだいたい毎年行われていますが、今回はマツコさんのすっぴんネタなどでちょっと話題になりましたね。お気に入りの共演女性たちである“志村ガールズ”の参加も一部で報じられていましたが、その時に付き合ってる女性がいたら一緒に来ることもある。

かつて交際が噂された、いしのようこさん(50)などは別れてからも仲がよく、都合が合えば参加する年もあるようです。志村さんはたいてい東京・麻布十番付近で飲んでいますが、誕生日会は中山さんが仕切って六本木の高級カラオケと決まっているようです」(芸能リポーター)

テレビでの人気もさることながら、芸能人の間でも愛されていた志村けんさん。

なぜ人気があるの?と思うので調べてみました。

まず志村さんは、普段は寡黙な方でみんなでいる時は笑っているだけだそうですね。大御所が中心になって話し出すと、誰もしゃべれなくなる。

持ち上げたり、おおげさに笑ってみたり、面白くなくても面白いフリをしてしまう。こういうことがないんでしょうね。これは後輩や若い人から好かれる秘訣といえるでしょう。

さらに、付き合った女性には、たっぷりとお金を出し、別れる時にも数千万のお金を渡すそう。

志村けんさんの暴露本が女性側から出ないのは、こういう所があるのでしょうか。また、後輩芸人に対しても、面倒見がよく、よく飲みにつれていったりアドバイスをしたりしているそうです。

お金に関して、ケチじゃないところ、情が厚くて面倒見のいいところが志村さんの人気の秘密のひとつともいえるのかもしれません。

さらに、芸に対してものすごくこだわりのあった志村さん。どんな生き方をしていたのか?名言などを通じてせまっていきたいと思います。

どんな生き方だったか?名言

僕は芝居を「演じている」と見られるのが一番嫌いだ。オーバーな演技やクサい芝居をしていると「そんな奴はいねえだろ」となってしまう。「いるいる、こんな奴が」と思ってもらいたい。「らしく見える」のが一番大事だ

『モテる秘訣は、子供の心に大人の財布』

『非常識なことをやるためには誰よりも常識者でなくてはならない』

最初から全力で行かない奴は その時点で先がない。

自分自身の絶対条件がクリア出来れば、その他の項目には目をつぶる。人間の欲望や要求にはきりがない。「三割満足で十分」でいけば、世の中腹の立つことも少なくなるだろうし、けっこう丸く収まると思う

仕事を楽しくするためには、男にしても女にしても好きな人が近くにいた方がいい。だから僕は自分が好きな人を、まずゲストに呼んだり、レギュラーに加えたりする。

人一倍努力して、仕事を好きでいるように工夫する。テレビの中の志村けんさんは楽しそうに見えました。

ドリフの時に比べて、最近では余裕を持った、子供心を忘れない大人でしたよね。

また、志村さんの尊敬する人の一人に東八郎さんがいます。

『バカ殿』で共演していた東八郎に「東はいい歳になってもなぜ馬鹿な演技ができるのでしょうか」と尋ねた時、

東から「芸人が本当は利口だと思わせようとしたり、文化人面(づら)したりするようになったらおしまい」と言われた。

志村はこの言葉に深く感銘を受け、東に尊敬の念を抱いていたと何度も発言している。

志村さんは映画や色んなオファーもありましたが、お笑い芸人ということにこだわりを持って、断ってきました。

お笑い芸人のほこりを持っていたのですね。

最後に志村けんさんの動画で終わりにしたいと思います。